ひるねゆったりの寝室

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『ブラッディ・マンデイ』の話

2008年のテレビドラマ『ブラッディ・マンデイ』を久しぶりに観た。
シーズン2も作られた作品だけど、今回はシーズン1について書く。

ちょうど中学生だった時分に観たというのもあって、
非常に大きな影響を受けた作品であると思う。
1話完結でないフォーマットや、
登場人物が過酷な目に遭う作品を高評価しがちなのは
この作品の影響なしでは語れないと思う。

実際、今見ても優れたシリーズであるという印象は変わらない。
それは完成度が高いというより、ハッタリの利かせ方が非常に上手いシリーズである、ということだ。
本作は意味深な登場人物のアップショットが多い。
視線を逸らすと効果音が鳴ったりするし、見ている側に対して「今、この人物怪しいですよ」と親切に提示してくれる。
それは実際活かされたり、ただのブラフで終わったりと様々だが、ハラハラさせてくれる要素だった。
これは当時から変わらない印象で、表現としてあまり古びていなかったのが嬉しかった。

 

逆に、今見たからこその発見もあった。
最終回で、主人公・藤丸は友人であり敵の首魁でもある人物から「自分を殺さなければ爆弾を止めることはできない」と揺さぶりをかけられる。
実際にはそれ自体がボスの罠なのだが、藤丸はそれを見抜いたわけでもなく、ただ自分の気持ちに従って殺害を拒否する。

本放送当時は、煮え切らない選択に、「よくわかんねえな」と思った覚えがある。
その直後にボスは別の人物に射殺されてしまうし、あまり意味のある展開には思えなかったのだ。

ただ、再視聴では非常に納得がいく展開だった。
藤丸は常々、「一人を救うか、大勢の人を救うか」という局面に対して、非情になりきれずにいた。妹が人質になればテロリストの要求を呑んでしまう、犯罪者と戦うにはあまりに甘い高校生だ。
そういう風に戦ってきた彼が、最後に、人の命を秤にかけること自体が間違いだ、と答えを出したのだと思うと得心がいく。
テロとの戦いというストーリーで捉えると一種の敗北ではあるけれど、
高木藤丸の物語として見れば、妥当な終着点だったと思う。

改めて見ても、非常に面白いドラマだった。