ひるねゆったりの寝室

アニメとか漫画とか映画とかの感想を書いていきます

『アメリと雨の物語』を観た

現在上映中のアニメ映画『アメリと雨の物語』を観てきた。

原作はアメリー・ノートンの「チューブな形而上学」、監督はマイリス・バラード、リアン=チョー・ハン。脚本は監督2名に加え、エディン・ノエル(美術も兼任)。音楽は日本人音楽家の福原まり。

 

海外アニメをあまり観ていない自分が即座に連想したのは、新海誠の『言の葉の庭』だった。題材に「雨」が絡んでいるからだけでなく、光の反射を複雑にとらえた美術、環境光を意識したキャラの配色、水の塗り分けの細やかさ……そして何より、日本家屋を瑞々しく描く感性。それらが共通していると感じた。

SNSでは時折、美し“すぎる”写真が話題に上がる。無加工の素材よりも遙かにビビッドに、そしてハイコントラストに仕上げられた写真は、耳目を集めやすい。その華美さに対して議論はあれど、「風景を美しく感じた気持ちを表現したい」という意思があること自体は、多くの人に理解してもらえるはずだ。

『アメリと雨の物語』と『言の葉の庭』も手法は正反対ながら、同様の意思を感じる。『言の葉の庭』では美術を精緻にすることで感動を呼び起こしているが、本作『アメリと雨の物語』では敢えてディテールや輪郭線を省略することで、「理想化された子供時代」「記憶の中だけにある大切な風景」を強く印象付けているのだ。

 

ストーリーの話に移ろう。舞台は1960年代の日本の神戸(作中では関西と呼んでいたかも)。ベルギー人の少女アメリを主人公に、彼女が見るものすべてに刺激を受ける一方で、初めて触れる死や喪失を通して成長していく子ども時代を描いた物語だ。幼い子どもが三人いるアメリの家には、家政婦として「ニシオさん」という女性がやってくる。アメリは日本の様々な文化を教えてくれるニシオさんにすっかり懐き、二人の間には年齢を超えた友情が育まれていく。

このニシオさんとの日々を描いた中盤のシークエンスが兎角素晴らしい。セリフがほとんどない中で、ピアノの劇伴と共に、二人で家事をしたりおしゃべりをしたり……といった日常の風景が紡がれる。洗濯物を干すニシオさんの後について、シーツにくるまったアメリが一回転する描写なんて、アメリがいかにニシオさんに心を許しているかが伝わってきて、それだけで感動する。

そんな二人の絆を試すのは、太平洋戦争の爪痕だ。敗戦国の人間であるニシオさんや、登場するもう一人の日本人・カシマさんにとって、欧米系の外国人は自分たちの家族を奪った仇なのだ(ベルギーと日本が直接敵対していないとしても)。ニシオさんとアメリは互いに愛し合いながらも、自分たちにはどうすることもできない歴史の前に、一度引き裂かれてしまう。そして孤独になったアメリをさらに、絶望の底へと突き落とす仕打ちが待っていて――

中盤に幸せな描写がある分、終盤の試練が観客である私にとっても、辛く痛いものだった。「子ども時代の万能感の喪失」は色んな作品で描かれているが、『アメリと雨の物語』で描かれた挫折は大人でも乗り越えがたい壁で、アメリの絶望が決して他人事ではないと感じさせる。

また、絶望が深まっていく過程で背景が暗く色褪せていくのも、世界からの祝福を失ったアメリの心境にシンクロしていてとても良い。

 

絶望の淵に立つアメリに希望をもたらすのは、過去の美しい風景たちだ。そのシーンのラストを、ニシオさんがアメリに「雨」という字を教えた回想が飾る。この回想シーンがまた手が込んでいて、窓の向こうから「現在のアメリ」が過去の自分たちを見つめているという構図になる。
この時、画面の手前から、過去のアメリたち⇒結露した窓ガラス⇒結露に指で書いた文字⇒文字の向こうに見える現在のアメリ……という複雑なレイヤー構成になっている。現在のアメリの肩ナメで過去の景色を映す、という見せ方でも成立しそうなところを、敢えて複雑な構図にして「過去のニシオさんが現在のアメリを励ましているようにも見える」という別の効果も上乗せしている。物語上の意味に加えて、演出の力強さの点でも感動がプラスされる名シーンだと思う。

 

最後にアメリが辿り着く「与えられたものが奪われてしまうなら、覚えておくしかない」という、諦念とささやかな抵抗が入り混じった結論も素敵だ。人は生きている限り、忘れることから逃れられない。本作のアメリもきっと、ベルギーに引っ越したあとで、日本の記憶を少しずつ失っていくだろう。けれど、おでこについた傷を見たり、兄が撮った写真を見返したりすれば、多少なりとも忘却を避けることができる。時間が経過したあとも残っている記憶は、多分に美化されていたり、事実と異なる風景になっていたりするはずだが、それもまた本人にとっては真実なのだろう。

そして、「美しい子ども時代を覚えていよう」という前向きな方向性だけでなく、ニシオさんが直面したような「大切な人の死」においても、この結論は発揮される。作品の中盤で、ニシオさんは海水浴帰りのアメリから空の瓶を渡される。それは他愛もないお土産なのだが、ニシオさんは瓶の蓋を開けた途端、かつて家族と海に行った時の記憶が蘇る。
戦争によって大事な家族を奪われても、幸せだった記憶は誰にも奪えない。ニシオさんは思わずアメリを抱きしめてお礼を言う。はっきりとは言わないが、きっとニシオさん自身も思い出せずにいた大切な記憶だったのだろう。心の傷が完治することはなくても、多少の癒しにはなる。その意味でも、「覚えておくこと」は重要なのだ。


映像の美しさもさることながら、アメリの持つ「小さな世界」とニシオさんの持つ「少し大きな世界」が重なって、互いの人生に影響を及ぼしていく様子がとても好ましくて胸を打たれる映画だった。

 

余談だが、『アメリと雨の物語』を観ていて、前述のとおりビジュアル面では『言の葉の庭』を、ストーリー面では『未来のミライ』を思い出した。『未来のミライ』は公開当時、その受け取り方が分からず困惑したものだが、色んな解説や感想を読んで、紐解き方が多少分かったという経緯がある。その過程で培った感性で『アメリと雨の物語』も楽しむことができた。意外なところで色んな作品が繋がるものだなぁ、と改めて作品鑑賞の不思議を思ったのだった。

 

 

「スキップとローファー展」と「シャフト50周年展」

「スキップとローファー展」と「シャフト50周年展」のメインビジュアル

1月12日、13日にふたつの漫画・アニメ系展覧会に行ってきたのでその感想を記しておく。


1月12日に向かったのは「スキップとローファー展」講談社の漫画雑誌「アフタヌーン」で連載中の、高松美咲による漫画『スキップとローファー』を題材にした展覧会だ。2023年にTVアニメ化も果たしており、漫画とアニメそれぞれの展示がされていた。


特に素晴らしかったのが漫画の生原稿の展示。本作では人物の線画がアナログで、それ以外の要素はデジタルを多用しているという(展示には背景のアナログ原稿もあったので、すべてがデジタルというわけではない)。その結果、全話に手描きの生原稿が存在しており、それを大量に眺めることが出来る展覧会となっていた。「ここはベタまで入れているのか」「眼鏡って後から合成しているのか」など、コミックスでは気づけない発見が多く、とても楽しい。


この手の生原稿展示で特に面白いのは「ホワイト」の使いどころだと思う。本作の展示では表情のニュアンス、例えば眉の角度などに修正が入っていたりして、これほど上手い作家さんでも一度ペンを入れてから考え直すことがあるんだな、と大変勉強になった。
高松さんの作業環境を再現した展示もあり、「やっぱりクリスタを使ってるんだなぁ」とか、そういうことを思ったりも。展覧会のキービジュアルのタイムラプスも観たが、色塗りはデジタルのようだ。それでこの水彩感が出せるなんて、技術の進歩はすごいなぁ……と今更ながら実感した。
そして、アナログ感を大事にしているというのも、とても伝わってくる展示だった。

 

昨年藤原ここあの展覧会にも行き、そこでもやはり思ったのが「生の手描き原稿以上の宝はない」ということ。藤原氏の場合はペン入れ原稿ではなく下描き原稿であったが(ペン入れ以降がデジタルなので)、線の一本一本の迫力や、完成原稿にはない文字など、アナログゆえの良さが感じられた。

 

 

翌13日は「シャフト50周年展」に足を運んだ。アニメーション制作会社・シャフトの軌跡を振り返る展示会で、原画やキャラクター設定、美術設定、美術ボード、企画開発時のメモなど、多彩なメイキング資料が出迎えてくれた。しょっぱなから十二戦支 爆烈エトレンジャー』の細田守による絵コンテが登場して度肝を抜かれた。超嬉しい……


シャフトの展示会は10年前の「MADOGATARI展」、4年前の「魔法少女まどか☆マギカ10(展)」も鑑賞済。調べてみると、10年前の展示は「シャフト40周年」を記念したもの。記憶はほぼないけれど、今回の方がスタジオの歴史を俯瞰するような構成になっていたと思う。ボリュームが大きいのは、依然としてやはり〈物語〉シリーズと、『魔法少女まどか☆マギカ』。特に『まどか』はファンからの熱量が物販に表れており、「SOLD OUT」のテープが貼られているのは本作が圧倒的に多かった。そして、『化物語』の千石撫子のグッズも、自分が買う直前にアクスタが売り切れ。歴戦の暦お兄ちゃんの強さを思い知ったのだった。


展示を眺めながら、シャフトの立ち位置の変化にも思いを馳せた。自分が深夜アニメを観始めた2010年代前半、まず名前を覚えたスタジオがシャフトで、次いで京都アニメーションだった。独特の美意識に貫かれた作風はとにかく目を惹き、どの作品にも新房昭之がクレジットされていることにも「どういうシステムなんだ!?」と驚いた。今回の展覧会でも『化物語』に至るまでの作品は実験精神にあふれているのが見て取れる。


その後、〈物語〉シリーズが一段落したあたりで制作本数が減り、クオリティが乱れたり放送が落ちたりするという時期が続き、往年の存在感が失われていった。一方で、佐伯昭志が拠点をシャフトに移し、いわゆる「シャフトっぽいもの」と距離を置いた作品が花開いていった。昨年の『忍者と殺し屋のふたりぐらし』では、可愛くてややアウトローな作品を楽しく映像化していて、新しいステージに入ったのを感じたばかりだ。


傷物語』の展示が少なめで(尾石達也監督の大量のメモなど見どころ多数なのだが、展示スペースが狭い)若干物足りなさを覚えたが、ひとつのスタジオのメインヒストリーを追うには十分かつ刺激的な展覧会だった。
来月公開……と発表されているが十中八九延期するだろう……『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 〈ワルプルギスの廻天〉』にも期待が高まる。

 

最後に両方の展覧会に共通して気になったのは、映像を映すモニターのフレーム補完機能がONになっていたこと。映像の展示では絶対にOFFにしてほしい。そう思いました。