ひるねゆったりの寝室

アニメとか漫画とか映画とかの感想を書いていきます

『劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚影』を観た

『劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚影』を観てきた。とても面白かったし、何度でも観たいと思える仕上がりだった。

 

◯飢餓感のある展開

『黒鉄の魚影』は情報が説明不足気味なまま話が進行していく。
象徴的なのがキール/水無怜奈の扱いで、彼女の過去や現在の立場が理解されている前提で、いろんな展開が仕込まれている。
OPのキャラ紹介でCIAであることはギリギリわかるが、途中挟まる回想シーンなんかまったく説明がない。まあ、わからなくても追えるようにはなっているのだが……。
万事こんな調子なので、”自分の理解で合っているのか?”と若干の不安を抱いたまま鑑賞することになり、それが「もう一回観て確かめよう」という飢餓感を生むところがあった。

 

◯本当に正体バレしてくれてありがとう

今回のもう一人の主役は灰原哀。正直鑑賞前は、
灰原の正体がバレるって言ってるけど、客を釣るハッタリなんじゃないの?」とかなり疑っていた。
というのも、これまでの劇場版でも、コナンの正体がバレかかる展開は何度かやっていたのだが、その都度、「組織のうちの一人にだけバレました(けど、そのキャラは死にました)」とか、「バレたと思ってたけどバレていませんでした」とか、毎回お茶を濁されていたからだ。
(これには『漆黒の追跡者』の予告にかなり期待していたのに実際は……という個人的な経験が根底にあるので、他の人以上に拒否感があるのだと思う)

しかし蓋を開けてみれば、始まって30分くらいでもう正体がバレ、しかもその晩のうちに誘拐されるというスピード展開。
これはかなり痺れた! 
これまでコナンは、周囲の人間をできるだけ組織から遠ざけようとしていたが、事ここに至るとそうも言っていられない。
阿笠博士と共に組織の車を追ったり、潜水艦のことを警察に訴えたり……
”もし本当に灰原の正体がバレたら”というシミュレーション映画として、十分堪能することができた。

 

◯画づくりの感じ

あくまでも印象のみでの話だが、今回は情緒的な画面づくりがされているシーンが、かなり絞られていたと思う。
この情緒的というのは、天候でキャラの心情を表現したり、光と影でキャラの立場を抽象的に表現したりすることを指している。
『ゼロの執行人』がその方向で作られた劇場版で、以降の作品でも取り入れられた要素だ。
今回でいうと、満月をバックにしたコナンや、海中を泳ぐコナンと灰原など、ここぞというタイミングでそういった画面が使われていた印象だ。

一方で、毛利探偵事務所や阿笠邸のリビングといったお馴染みの空間が登場せず、その代わりに潜水艦の営倉やパシフィック・ブイのコントロールルームといった、緑や青を基調とした暗い空間が頻繁に登場するため、どこか暗い印象や圧迫感がある。

 

◯女性キャラ三人のルーツの物語

キャラクターのドラマ部分に注目すると、三人の女性が中心にいることがわかる。
灰原、水無怜奈、そしてゲストキャラクターの直美・アルジェント。
三人を結ぶキーワードは「ルーツ」だ。
特に灰原のルーツを、「かつてアメリカにいた」という点から掘り下げていたのは面白かった。
原作やTVシリーズでさらりと触れられている要素を膨らませたかたちだが、シェリーでも灰原でもない、宮野志保としての人生があったのだと改めて気付かされる内容だった。
短い時間でゲストの直美の物語をいかに深みのあるものにするか、という点を補うかたちで、水無怜奈が重点的に描写されているのも面白い試みだと思う。
彼女は「赤と黒のクラッシュ」という一大長編でキャラクターとしての使命を終えてしまったが、そこに新たな命が吹き込まれたのは嬉しいサプライズだった。

 

黒の組織の恐怖

黒の組織は証拠さえ残さなければどんなことでもする。そのことを最近忘れがちだったのだが、この映画を観て思い出した。不審死や不審な誘拐をまったく恐れないのこそ、組織の強さだ。
灰原の誘拐に躊躇なく踏み切る、直美の父親をすぐに殺そうとする、それを娘本人に見せてしまう残忍さ……ちなみに、初めてウォッカを怖いと思った。

 

◯灰原とオチのつけ方について

自分が何度も観たくなった一番の理由はここにある。
灰原の”お返しキス”があまりにも悲しかったのだ。
今回、灰原関連で何かしらの決着がつくといいなと思っていたが、まさか「コナンへの好意」がそこに選ばれるとは思っていなかった。せいぜい、灰原と赤井の邂逅ぐらいじゃないかなと……。
要はそれぐらい大きな要素であり、色々と思うのところのあるオチだった。

直前の水中キス自体は『未来少年コナン』→『14番目の標的』からの孫引きなので、「うまいことやったなぁ」ぐらいのものであった。
その後「キスしちゃったのよ」で、明言するのか!とびっくり。ここまでは、まあ、ポジティブなサプライズだったと思う。これで終わっていれば「あー、楽しかったね」で済んだ。

でも蘭への”お返しキス”は、哀しさの方が勝った。
四回観たうち、二回は劇場で笑いが起こっていたんだけど、全然笑えるシーンじゃないと思う。
水中での思い出を自分だけの宝物に出来ない、灰原の不器用さの表れであって、とても残酷なシーンだと思ったし、それがこの映画を一つの高みに昇らせているとも思う。
この複雑な気持ちを抱かせるラストは、20作を超えた今だからできることのはず。
素晴らしいオチのつけかたであった。

 

◯”潜る”ということの意味

最後にちょっとだけ与太話。
映画の中で、海中からの救出が二回描かれる。
一つは灰原と直美の潜水艦脱出。もう一つは灰原による、水中で死にかかったコナンの救出。
どちらにも言えるのが、”一人では助からなかった”ということ。灰原は酸素タンクを背負える体じゃないし、最後のコナンは言わずもがな。

この映画での”海”には様々な意味がこめられていると思う。組織に囚われていることや、悲しみの中にあること……あるいは、海底=あの世なのかも。
そういう”向こう側”に行きそうになった時に、一人で浮き上がるのは難しい。作中でも言われているけど、”水圧”があるからだ(この水圧にも、いろんな意味合いがあると思う)。
そんな時に誰かがそばにいてくれれば、一緒に上がっていくことができる。そういうことなんじゃないかなー、と思ったのだった。
※”潜る”には”潜入”の意味合いもあるだろうし、その場合はキールが潜入しなくても済むようになるには”味方”が必要、という話になる。

 

◯雑感

あと、『劇場版名探偵コナン』において最大の敵は水なんだな、ということを改めて思った。『14番目の標的』も『水平線上の陰謀』も『絶海の探偵』もなんかいちいち怖いんだよな……。