ひるねゆったりの寝室

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『雨を告げる漂流団地』を観た

子供のために作られたアニメーション、という言い回しがある。

たいていは年若いキャラクターが主人公となり、冒険したり葛藤したりする作品のことだ。

これを大人の観客が「子供の方を向いた作品だ」と評価するのは難しく、結局、自分の中の「イマジナリー子供」の判定に任せるしかない。

 

『雨を告げる漂流団地』はまさに、私の「イマジナリー子供」が喝采する作品であった。

 

映画になるとカットされてしまう、『ハリー・ポッター』の学園パートがずっと続くようなアニメだ。

しかもワクワクするパートよりも、喧嘩している場面の方がずっと長い。しかし私がグッとのめり込めたのもその喧嘩要素であった。

子供というのは基本的に物分かりが悪い。本作で活躍する6人の少年少女……いや、ダブル主人公の航祐と夏芽と、気の強い女の子・令依菜の3人は、ことあるごとにブチぎれる。そしてその大半の場合、同じことで怒っているのだ。

終わりの見えない漂流生活の中で、一度は解決したはずのことがまたしこりとなって現れる。令依菜が何度も言う「あんたのせいで」という夏芽への非難の台詞はその最たるものだ。

この漂流生活から脱出するためのルールは、作中での理屈ははっきりとは描かれていないが、テーマ的な視点に立てば、夏芽が航祐と和解し、団地との別れを受け入れることにある。

ところが、この目標がなかなか達成されない。航祐と和解したかに見えたが、団地への未練を捨てきれず……といった具合で、夏芽の未練を断ち切るまでにいくつものイベントが生じる。

それはまるで作り手が「これで夏芽は納得しただろうか?」「いや、していない! まだ足りない!」とこだわった証跡のように感じられる。その甲斐あってか、最後に夏芽が団地への別れを受け入れるシーンは、かなりジーンとくるものだった。

 

私の中の「イマジナリー子供」は、決して登場人物が喧嘩しているだけで喜んだりはしない。

漂流生活のディテールもまた、興奮の材料だった。作中で何度か、別の漂流建築物への乗り移りが行われる。空中からの突入や、海からの上陸などパターンは様々だが、いずれもアイテムや装備が魅力的に使われており、この漂流生活の面白さがよく出ているシーンだった。

落下しそうになる珠理を救出するために夏芽が団地をぴょんぴょんよじ登るシーンなども印象的だ。

アクションものとしての面白さも十分に味わえ、それも満足である。

 

また、絵の魅力とキャラクターの魅力が一体となっているという点では、夏芽が素晴らしかった。ボーイッシュな髪型ながら女の子に見え、さりとてことさらに思春期という感じでもない。中庸のラインを狙ったデザインだと思うが、その分彼女にしか出来ない表情が多くあり、その芝居の力で可愛く見える瞬間がいくつもあった。

ただ、彼女を可愛く思うのは、「イマジナリー子供」としての自分ではなく、「大人」の自分の方な気がするけれど。

 

『雨を告げる漂流団地』は想像以上にエネルギッシュな映画だった。同じ制作陣の作った『ペンギン・ハイウェイ』は、もっと大人の私を喜ばせるようなものだったが、今回は明確に異なる。それは、「お姉さん」の不在ゆえだろう。結果として、より純度の高い「子供のファンタジー」となっており、自分でも意外なことに、私は『雨を告げる漂流団地』の方をもっと気に入ったようだ。嬉しいことにもう配信開始しているし、また観てみることにしよう。

雨を告げる漂流団地 (角川文庫)