ひるねゆったりの寝室

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『劇場版名探偵コナン 緋色の弾丸』で思ったこと

『劇場版名探偵コナン 緋色の弾丸』を見てきた。
最近、仕事があまりに忙しくて公開直後の鑑賞は無理だったため、
スマホからTwitterアプリを削除して、新鮮な気持ちで臨むことができた。

なんて要素の多い映画なんだろう、
そしてなんてクオリティの高い映画なんだろう、と思った。

今作にある大きな構成要素を思い返してみると、

①赤井一家に原作とリンクした描写を挟み込む。
②少なくとも『異次元の狙撃手』、あるいは『ゼロの執行人』レベルのハイターゲット路線を狙う。
③FBIを活躍させる。
④その上で小五郎、蘭、灰原、少年探偵団に見せ場を作る。
⑤クライマックスにスペクタクル。

という5つの課題があったことが窺える。
並べてみると一目瞭然だが、明らかに活躍させるべきキャラが多い。
凄まじいコントロールである。

結果として、内容的にはバランス型の作品になったと思う。
ハイターゲットにしすぎず、赤井一家にも踏み込みすぎず、
全員に見せ場を作ることに成功した。
逆に言えば、『異次元の狙撃手』にあったようなサプライズ性、
『ゼロの執行人』の持っていたテーマ性などは抑えられ、
お祭り映画の作りになっていたわけだ。

それもこれも、赤井秀一を下手に掘り下げられないことが
ブレーキとなったのだろうが、
しかしおかげで”全員活躍型”の映画を観られたことは、
十分にサプライズであった。

活躍が多かった少年探偵団や灰原だけでなく、
例えばチケットを譲ってあげようとする園子や、
異質とも言えるシーンを担った小五郎、
彼らの短いながらも光る出番は見ものだった。

こういったキャラの情緒に寄り添う描写は、
前作『紺青の拳』から続いて、永岡監督の持ち味なのではないかと思う。

この情報量の多さは、物語の内容だけでなく、
実際の映像にも起こされている。
分かりやすいのが「セリフかぶせ」で、
他の人物が話している途中で別のキャラが喋り出す演出だ。
ここまで顕著にやるのは珍しく、作品世界に奥行きを与えていた。

映像面においても、特にキャラの顔が全く崩れず驚いた。
崩れないだけでなく、キャラの黒目部分の処理が
キメ顔の時以外もしっかりなされている。
コナンの黒目の下の部分は、力の入ったカットでは、
線をあえて途切れさせ、色トレスでその間を繋ぐことがよくある。
これは原作の絵がそういった処理をしているので、それを踏襲したものだろう。
劇場版では原作者の原画担当シーンでよく見られる処理だ。
『緋色の弾丸』においては、それは標準的な描写となっており、
それだけで力の入り具合が感じられた。

 

劇場版シリーズはヒットの規模が大きくなるにつれ、
映像も音響もリッチになってきた。
しかし、年に一度という公開ペースのせいか、
必ずしも全シーンのクオリティが高いというわけではない。
自分としてはそこが最大の不満点であった。

そこへ、この『緋色の弾丸』がやってきて、
自分の観たい『劇場版名探偵コナン』は達成されたような気がした。
これが、『ゼロの執行人』のような異色作であれば、そうは思わなかった。
異色ゆえにクオリティが求められるからだ。
だが、『緋色の弾丸』はどちらかというとお祭り映画だ。

そんな『名探偵コナン』らしい作品が
これだけのクオリティを達成したことに満足したのだ。
この先、たとえ自分が望まない完結の仕方をしたとしても、
この一作があれば十分いい思い出にすることができる、そういう一本になった。

劇場版 『名探偵コナン 緋色の弾丸』オリジナル・サウンドトラック