ひるねゆったりの寝室

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お約束と挑戦――静野孔文監督時代の『劇場版名探偵コナン』

『劇場版名探偵コナン(以下『劇場版コナン』)』シリーズには、現在までで4人の監督がいる。
この記事では、昨年卒業した、3代目(15~21作目)の静野孔文監督時代を振り返る。
私は12作目から劇場に通うようになった人間なので、リアルタイムで追いかけられたのは静野監督が初めてだ。
刺激の強い作品が多く、劇場でいつもドキドキさせられた。
その楽しさ・気持ちよさを少しでも分解してみたい。

 

静野監督期の『劇場版コナン』とはなんだったのか。
簡単に言えば、お約束への挑戦の季節であった。この挑戦は二種に分けられる。
1つは「アクションという新たなお約束」の確立。
もう1つは「旧来のお約束の革新」だ。
チャレンジ精神に溢れた7年間を、1作ごとに振り返りたいと思う。

 

★『漆黒の追跡者』の成功


いきなり静野監督が関与していない作品を挙げてしまったが、実はこの作品が静野期の土台になったと私は考えている。
この映画での革新的なポイントは大きく分けて2つ。
1つはレギュラーキャラの増加。
合同捜査本部の面々と、組織の追加メンバーの登場は、地味ながら大きな変化だ。
特に『異次元』以降の「原作と足並みをそろえる」路線に至るための、
助走になったことは、間違いない。
もう1つのポイントは、アクションの変質だ。
『劇場版コナン』は、元々アクションが多いシリーズではあるが、
実はコナン自身が超人的な動きをする機会は少なかった。
ところが本作ではコナン自身が肉弾戦をし、
機銃掃射を走って逃げ、最後は若干無茶な方法で組織のヘリを撃退する。
これによってコナンの身体能力は底上げされ、
以降の作品でさらに力を入れられることになる。

 

★全ての始まり『沈黙の15分


オープニングの地下鉄爆破と終盤のダム決壊。
2つのスペクタクルに挟まれたこの作品が、静野監督の第一作だ。
揺れるカメラに、長いアクションシーン。
静野期で多用された演出が、すでにこの時点で全開だ。

 

特筆すべきは終盤のダム決壊。
爆弾が全て爆発し大量の水が流れ出す。
コナンは水に襲われる村を救うべく、スノボーを駆って雪崩を起こす……というのが流れ。
荒唐無稽で現実的には思えない筋書きを、
この映画は「コナンならできる!」というテンションで大真面目に描き切る。
どう真面目にやるかと言えば、

「雪崩を起こす」という情報をギリギリまで伏せておき、
コナンが濁流とギリギリの競争をしている様子を丹念に見せる。
「何だかわからんがコナンが凄いことをやりそう」という緊張感で間を持たせるのだ。

 

原作やTVシリーズがある以上、ハッピーエンドになるのは観客も分かっている。
だからこそ、スペクタクルの過程こそを魅力的に(この場合は緊張感たっぷりに)描く。
静野期の大きな特徴だと言えるだろう。
その後、雪に埋まったコナンを捜索する場面も、その精神が発揮されており、
探偵団が大泣きしたり、蘭が叫んだり、妙にドラマチックなのである。

 

★情熱的な意欲作『11人目のストライカー


いきものがかりの起用が話題となった本作では、映像の質感が大幅に変更された。
キャラクターの色が明るくなっただけでなく、
内側からぼんやりと発光するような処理が加えられている。

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↑(左:『沈黙』での質感イメージ、右:『11人目』での質感イメージ)

 

変化は光の使い方にも表れている。
環境光の設定によって、光源に近い場所が明るく、
遠くなるほど暗くなるという効果が施された。
これによって、人物の色合いもグラデーションになっている。


さらに、ピントの調節も細かくされており、
毛利探偵事務所の室内でも、
カメラの手前のものがぼけるなど、
レンズを意識した演出がなされた。

 

また、本作はドラマに力を入れた作品でもある。
人命のかかった大役の前に震える、生意気な若手Jリーガー。
思い出のスタジアムを、記念時刻に爆破する犯人。
叫ぶようなコナンの犯人説得。
コナンがJリーガーと秘密の練習をする場面では挿入歌が流れたりと、
サッカーに対する様々なキャラの思いを、力強く伝える作品である。

 

★ハイターゲットな『絶海の探偵』


櫻井武晴氏を脚本に迎えた初めての作品。
イージス艦という舞台設定、スパイの存在、ショッキングな遺体、と異色づくしだ。

 

この作品における挑戦は、某国のスパイ「X」の存在の難解さである。
Xは悪事を働いてはいるが、
それは殺人や強盗のような明快なものではなく、情報の窃盗である。
つまり彼がどうして悪人なのかが分かりづらい。


「Xが殺人犯の可能性がある」「Xが子供の父親の振りをしている」という2つの疑惑や表情によって、彼を分かりやすい悪役に見せるが、
それ以外の部分では、観客側が国防や機密情報といった概念を理解している、という前提で話が進む。
『漆黒』でのノックリスト争奪戦を発展させた、大きな挑戦だった。


『沈黙』『11人目』に比べて地味な映像が続く本作で、
興行収入を記録更新したこにとは、大きな意味があったはずだ。
それは櫻井氏のメインライター化と、次作以降のハイターゲット路線に繋がっていく。

 

★全盛期が始まる『異次元の狙撃手』


前年の『絶海』、そして『ルパン三世VS.名探偵コナン THE MOVIE』を経て、
興行収入が40億円台に突入した今作。
コナンの右肩上がりの興行を、決定づけた作品である。

 

『異次元』では『絶海』のハイターゲット路線を継承しており、
アメリカ軍の海兵隊が題材となっている。
加害者も被害者も戦争経験者、という経歴はシリーズ中でも異色だ。


特に目立つのは、英語の台詞が多い事だ。
外国人同士の台詞の応酬は、英語でされるため、字幕がないと分からない。
内容も複雑であり、観賞者の年齢を、洋画を字幕で観られる年頃(恐らく中学生程度に)見積っている。

 

さて、今作は『漆黒』と共通点が多い。
原作(とTVシリーズ)に登場しているキャラクターの銀幕デビュー、
コナンが現場を足で調査する、展望台での攻防戦、
そして次作の題材がキッド、次々作がアニバーサリーイヤーという位置づけ。
共通している分、違いも分かりやすい。
『漆黒』が終盤に至るまで地道な調査を続けるのに対し、
『異次元』はオープニング、中盤、終盤と何度も犯人との対決が繰り広げられる。
世良が重傷を負うというサプライズ要素もある。
これまで積み上げてきた、緊張状態を優先する作風が大いに発揮されたと観るべきだろう。

 

また、本作ではまた映像の質感が変更された。
内側から発光するような処理は抑えられ、輪郭線と影がはっきりしている。
他にも、『沈黙』から部分的に使用され、『絶海』で本格導入された、
顔の輪郭線(やパーツの線)を太くする作画が今回は頻出する。
カメラがキャラに近づくにつれて、輪郭線の強弱が大きくなる演出だ。
ペンで力強く描いたような線によって、決め顔が明確になり、表情が印象に残る。
『から紅』まで続く、静野期の映像の最終形だ。


★一気呵成の対決『業火の向日葵』

 

この映画がずば抜けているのは、「最初から最後までキッドが格好いい」ところである。
従来怪盗キッドの登場作品は、
途中から(あるいは序盤から)キッドの存在感が薄くなる傾向にあった。
その中で本作は、終盤まで深く絡み、敵としてコナンの前に立ち塞がる。
この緊張感によって、キッドの格好よさが際立つのだ。
本作特有の、風に吹かれながら意味ありげに笑うキッド、という絵面はそれだけで痺れる。

 

また、本作はゲストとレギュラーキャラのドラマが濃い。
おばあさんと灰原の恋を示唆するような会話、
苛烈な正義感を持つチャーリー、
寺井の願いを叶えようとしたキッド……等々。
最後の場面が「チャーリーがキッドを見逃す」ところで終わるように、
(あるいは灰原が冗談めいた口調で恋心を認めるように)
事件がキャラの心にやや変化をもたらす、少し切ない風味の作品だ。
『絶海』でのコナンと勇気、コナンと藤井一佐、と
同じようなアプローチである。
この路線は、次作『純黒』で大成することとなる。

 

本作は屋外シーンの多かった『異次元』に対して室内シーンが多い。
そのためか、部屋によって画面の色合いも変わる。
光源や環境を意識したアプローチは健在だ。


★ハッピーエンドになれない『純黒の悪夢


『純黒』は非常にシンプルな映画だ。
敵は黒の組織、味方はそれ以外、と勢力がきっちり分かれている。
そして、キーとなるキャラは、記憶を失った敵。
彼女の記憶が戻るか否かが、サスペンスの根源だ。

 

さらにもう1つ、大きなサスペンス要素がある。キュラソーの顛末だ。
『劇場版コナン』には原作とTVシリーズがある以上、
キュラソーは死ぬ、あるいは作品世界から退場するのは、公開前から明らかだ。
それによって、探偵団とキュラソーが親しくなるほどに、
彼女がどんな結末を迎えるのが気になる、という緊張感が生まれる。
そして、この2つのサスペンスがクライマックスで結ばれる。

 

今作のラストを飾る観覧車アクションには、大きなポイントがある。
それは「コナンでもどうにもできない」点だ。
花火ボール、サスペンダーに巨大サッカーボールと、
近作で印象的に使われたアイテムを全て使うが、
それでも暴走した観覧車は止まらない。
その窮地を救うのが、キュラソーの決死の突撃である。

 

『11人目』『絶海』『異次元』など、
これまでもコナンが他のキャラと協力して事件や事故を解決する描写はあった。
しかし、『純黒』のそれは毛色が違う。
赤井の「よくやったな、坊や」という台詞に、コナンは浮かない顔をする。
なぜなら彼は、キュラソーが命を落としたと察しているからだ。

 

『沈黙』の欄で、原作があるからハッピーエンドになるしかない、と書いたが、
この作品はそれを逆方向に突き詰めている。
原作があるからハッピーエンドにはなれないのだ。
ED前後にギャグもはさまず、今作はしんみり終わる。
派手なスペクタクルを大真面目にやってきたからこそ、この結末も深刻なものになる。
静野期の到達点だ。


★恋愛映画だった『から紅の恋歌


キャラクターのドラマを中心にしていた前作から一転して、
連続殺人(と未遂)事件の謎を解く手堅い作品だ。
コナンを評して「殺人ラブコメ」と原作者は言うが、
今作ではそれが如実に表れている。
平次と和葉、そして紅葉の恋模様。それと並行して起こる事件。
まさにコナンらしい作品だ。


その中でも特筆すべきは、恋愛要素とミステリー要素が解離していないことだ。
従来、劇場版における恋愛要素は「コナンが蘭のピンチを救う」
「蘭が事件の中で新一との思い出を振り返る」など、
事件とは間接的な位置づけにされることが多かった。

 

本作も、終盤で謎解きが始まるまではそう見えるが、
事件の真相がわかるとガラリと衣替えをする。
一連の事件は全て、夫が亡き妻のためにしたことで、
その根源となった別の事件さえも、ある男の初恋が発端だった。
愛情の光と闇が描かれた、まさに恋愛映画だったのである。

 

この仕掛けが成立するには、それまでのラブコメ要素が
きちんと「いつものラブコメ」に見えていなければならない。
本作の恐るべきところは、そこである。
脚本は初登板の大倉崇裕氏が手掛けているが、レギュラーキャラの描写に全く違和感がない。
名探偵コナン』らしいキャラの掛け合いによって、おなじみのラブコメを見ている気持ちになるのだ。

 

演出も、今までになく軽快でコメディらしい。
コナンが慌てて移動しながら「眠りの小五郎」をやる、
蘭が効果音を立てながら素早く退散する、
阿笠博士FaceTimeで電話をかける、など、
細かいところで雰囲気を軽くしている。
個人的には明るい映画だという印象を受けるのだが、
それはこういう描写が多く仕込まれているからだろう。

 

★静野監督期を振り返って


振り返ると、静野監督期は作品を盛り上げること、
そして新しい風を吹かせることに意欲的だった。
ミステリー、スペクタクル、コメディ、新一と蘭の関係……
どの要素も『劇場版コナン』を『劇場版コナン』たらしめているものだが、
その配分を実験し続けた7年間だったのだと私は思う。

 

今また『ゼロの執行人』で新たな扉が開かれたが、それは静野期なくしては成立しなかったはずだ。
アクションやスペクタクルを軸にして、異色のコナンを作り続けた静野期は、
これからもシリーズの礎になっていくことだろう。
挑戦は当たり前。
そんな静野期が、私は好きなのだ。