ひるねゆったりの寝室

アニメとか漫画とか映画とかの感想を書いていきます

『ブレイブ ストーリー』を観た

2006年公開の劇場アニメ『ブレイブ ストーリー』を久しぶりに観た。
(原作は「ブレイブ・ストーリー」だが、映画は「・」が抜けるらしい)

あらすじをざっくりまとめると下記のようになる。
現代日本に暮らす平凡な少年・ワタルの家庭は、ある日突然崩壊。
父親は出ていき、母親はショックのあまり、ガスを吸って倒れる。
(自殺の意図があったかは、明確ではない)

影のある友人・ミツルの導きで、ワタルは異世界・幻界(ヴィジョン)へ向かう。
そこで五つの宝玉を集めれば、何でも願いが叶うというのだ。
自分の運命を変える(=家庭を再生する)ため、ワタルは旅に出る。

異世界での旅を続ける中で、仲間も出来、世界に愛着の湧いたワタル。
宝玉集めよりも、徐々に人助けのほうに力を注ぐようになる。
しかし、ワタルとは反対に、ミツルは宝玉を手に入れるためなら手段を選ばない。
ついには幻界を滅ぼすのと引き換えに、自身の願いを叶えようとする。
それに反発したワタルは最後の戦いに挑むが、
そこでミツルの願いの真実を知ってしまい……
というストーリー。

 

後半こそ重い展開が続くものの、
作品の根底には、楽しい雰囲気が流れている。
それを支えるのが異世界で出会う面々。彼等はデザインと性格共に魅力的だ。
特にミーナは、ヒロイン枠を務めているだけあって可愛い。ところどころ、凄く色っぽかった。
主人公であるワタルも好感の持てる少年で、
時折思慮の足りないところも含め、良かったと思う。

 

ただ、どこか物足りなさを感じるのは、
ミツルの存在があるからだろうか。
今作では「彼なりに自分の運命を呪っているワタル」と
「ワタル以上に呪われた運命をたどるミツル」が対照的に描かれる。

ワタルが幻界で得た哲学も、ミツルから見れば薄っぺらいものでしかない。
それに対してどうアプローチするのか……という部分が肝なのだが、
映画の中で、ワタルの呼びかけは終始空回りしている印象がある。

結局ワタルはミツルと向き合う時間を持てず、
ミツルが自滅することで、
間接的に「ワタルが正しかった」ことが証明される。

 

物足りないというのはそこだ。
個人的には、ワタルにはミツルと、もっと正面から向き合って欲しかった。
それは映画に瑕疵があるというよりも、自分がワタル寄りの人間であるから、
そう感じる節がある。

映画内のワタルがそうだが、相対的に恵まれた環境で育った人間は、
そうでない人物に出会った時に、かける言葉を持たない。そして、そのことに強い罪悪感を抱く。
だから、それを否定してくれる展開があって欲しいと、自分なんかは勝手に思ってしまう。
ファンタジー世界の冒険が題材であっても、
自分の出自(や現実)から逃れることは出来ないんだな、と強く実感する作品だった。

ブレイブ ストーリー

 

 

『天気の子』のメモ――記録と記憶

※ネタバレあります

 

 

「東京だって、いつ消えてしまうか分からないと思うんです」

これは、『君の名は。』終盤で主人公・瀧の口から出る台詞だ。
彼は失った糸守の記憶に引っ張られ、建設会社らしき企業の採用試験を受けている。
その時の面接時に語られた言葉だ。最新作『天気の子』ではこれが現実のものと化している。

君の名は。』では、糸守の光景は記録(写真・映像)に収められ、
人々の記憶の中で生き続けることとなった。
『天気の子』も同じ側面があるが、それはもっと深く推し進められている。

前作における糸守は創作で、東京も美しい場所を中心に描かれた。
つまり、実際の生活空間とは、やや離れた世界である。

対して今作は、少しの場面を除いて東京で物語が展開し、
しかもより猥雑で、みすぼらしい姿が映される。
前作にあったような都市としての東京の美しさは、かなり鳴りを潜めた。

そして終盤、東京は様変わりする。
最後に提示された、水に沈んだ東京のビジュアルは衝撃的かつ、
そこですらしぶとく生きる人間の、力強さを訴えかける。
それが荒唐無稽でない、決して絵空事ではないものだと感じられたのは、
執拗により現実に近い東京が描かれていたからだ。

 

はじめに挙げた瀧の台詞には、続きがある。
「だから、記憶の中であっても……、なんていうか、
人を、温め続けてくれるような風景を……」
瀧は自分でもその感覚を掴めておらず、
曖昧な物言いで、面接を終えている。

『天気の子』は、この感覚を語り直す映画だ。
映像の中に「現在の東京」を閉じ込めて、
そこで展開された帆高と陽菜のひと夏の煌めきと共に、
街の姿を記憶させる。

これからも東京は、開発やら何やらで変わって行くだろう。
随分経って、街の様子が変わってからこの映画を観た時、
きっと「あの頃自分が暮らしていた街がある」と思うに違いない。

そしてそれが恐らく、東京をリアルに描いてきたことへの、
作り手の回答でもあるのだ。
あの時・あの瞬間、東京で生きていた記憶を掘り出す時のよすがとなれば。
そんな願いを歌い上げるような、今を描いた映画だった。

小説 天気の子 (角川文庫)