ひるねゆったりの寝室

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『天気の子』のメモ――記録と記憶

※ネタバレあります

 

 

「東京だって、いつ消えてしまうか分からないと思うんです」

これは、『君の名は。』終盤で主人公・瀧の口から出る台詞だ。
彼は失った糸守の記憶に引っ張られ、建設会社らしき企業の採用試験を受けている。
その時の面接時に語られた言葉だ。最新作『天気の子』ではこれが現実のものと化している。

君の名は。』では、糸守の光景は記録(写真・映像)に収められ、
人々の記憶の中で生き続けることとなった。
『天気の子』も同じ側面があるが、それはもっと深く推し進められている。

前作における糸守は創作で、東京も美しい場所を中心に描かれた。
つまり、実際の生活空間とは、やや離れた世界である。

対して今作は、少しの場面を除いて東京で物語が展開し、
しかもより猥雑で、みすぼらしい姿が映される。
前作にあったような都市としての東京の美しさは、かなり鳴りを潜めた。

そして終盤、東京は様変わりする。
最後に提示された、水に沈んだ東京のビジュアルは衝撃的かつ、
そこですらしぶとく生きる人間の、力強さを訴えかける。
それが荒唐無稽でない、決して絵空事ではないものだと感じられたのは、
執拗により現実に近い東京が描かれていたからだ。

 

はじめに挙げた瀧の台詞には、続きがある。
「だから、記憶の中であっても……、なんていうか、
人を、温め続けてくれるような風景を……」
瀧は自分でもその感覚を掴めておらず、
曖昧な物言いで、面接を終えている。

『天気の子』は、この感覚を語り直す映画だ。
映像の中に「現在の東京」を閉じ込めて、
そこで展開された帆高と陽菜のひと夏の煌めきと共に、
街の姿を記憶させる。

これからも東京は、開発やら何やらで変わって行くだろう。
随分経って、街の様子が変わってからこの映画を観た時、
きっと「あの頃自分が暮らしていた街がある」と思うに違いない。

そしてそれが恐らく、東京をリアルに描いてきたことへの、
作り手の回答でもあるのだ。
あの時・あの瞬間、東京で生きていた記憶を掘り出す時のよすがとなれば。
そんな願いを歌い上げるような、今を描いた映画だった。

小説 天気の子 (角川文庫)

『TARI TARI』を観た

TARI TARI Blu-ray コンパクト・コレクション

2012年放映のTVアニメ『TARI TARI』を観ました。

この前『花咲くいろは』を観たので、
いざP.A.WORKS強化旬間、というわけで観ることにしたのです。
私自身は合唱経験はクラス合唱や音楽の授業程度ですが、とても好きでした。
真面目に歌わない人は最初から練習にこないでほしい、と思っていたぐらいです。
今でもカラオケで合唱曲を歌ったりします(一人で)。

 

さて、そんな『TARI TARI』ですが、合唱というメイン要素はもちろんですが、
「モラトリアム」を鮮やかに描いた作品だという印象を受けました。
それは「合唱時々バドミントン部」が常々「お遊びだ」と貶されるような部活である、
ということが端的に示しています。

・コンクールにも参加しない(というか出来ない)
・初心者ばかりでしかも一年足らずの活動、
・(設立時点では)誰も音楽の道に進むつもりがない。

まるで腰かけと言わんばかりです。
普通科高校ならそういう部活も当然ありますが、
白浜坂高校には音楽科があるため、将来に結びつかない音楽系の部活は、
それだけで異質な存在です)

そして部員たちもまた、迷える生徒が集まっています。
中でも沖田紗羽はモラトリアム要素を最も背負ったキャラクターでした。
親の庇護の下で、親の反対する道を目指す反抗精神。
難しい職業を夢見る気質。
未来が決まっていない時期だからこそのキャラ造形に思います。
彼女が部活を一つに絞らないのも、それを表しているのかもしれませんね。

はっきり言ってしまえば、騎手という彼女の将来の目標にとって、
今の学校生活も、合唱部の活動も、全く役に立つものではありません。
しかし、彼女が最後に進路を選んだ時、その背中を押したのは
間違いなく合唱部の思い出であるはずです。

気にしたり 思いっきり駆け出したり
画像は紗羽に転機が訪れる第8話のもの。

ついに迎えた最終回。
エンディングテーマに入る前の、実質的な本編のラストシーンを飾るのは、
クレジット上は3番目にあたる紗羽です。
何故、最後海外に出ていき、見送られる役が彼女なのか。
それは音楽面での主人公が和奏なら、
モラトリアム面での主人公が紗羽だったからにほかなりません。
彼女の人生を年表にしたら、きっと合唱部での一年は、
ちょっと短い遠回りに見えるはずです。
でも、それに大きな意味があったんだ、と力強く歌い上げる『TARI TARI』は、
結局部活が将来に結びつかなかった私にとって、非常に刺さる応援歌なのです。