ひるねゆったりの寝室

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お約束と挑戦――静野孔文監督時代の『劇場版名探偵コナン』

『劇場版名探偵コナン(以下『劇場版コナン』)』シリーズには、現在までで4人の監督がいる。
この記事では、昨年卒業した、3代目(15~21作目)の静野孔文監督時代を振り返る。
私は12作目から劇場に通うようになった人間なので、リアルタイムで追いかけられたのは静野監督が初めてだ。
刺激の強い作品が多く、劇場でいつもドキドキさせられた。
その楽しさ・気持ちよさを少しでも分解してみたい。

 

静野監督期の『劇場版コナン』とはなんだったのか。
簡単に言えば、お約束への挑戦の季節であった。この挑戦は二種に分けられる。
1つは「アクションという新たなお約束」の確立。
もう1つは「旧来のお約束の革新」だ。
チャレンジ精神に溢れた7年間を、1作ごとに振り返りたいと思う。

 

★『漆黒の追跡者』の成功


いきなり静野監督が関与していない作品を挙げてしまったが、実はこの作品が静野期の土台になったと私は考えている。
この映画での革新的なポイントは大きく分けて2つ。
1つはレギュラーキャラの増加。
合同捜査本部の面々と、組織の追加メンバーの登場は、地味ながら大きな変化だ。
特に『異次元』以降の「原作と足並みをそろえる」路線に至るための、
助走になったことは、間違いない。
もう1つのポイントは、アクションの変質だ。
『劇場版コナン』は、元々アクションが多いシリーズではあるが、
実はコナン自身が超人的な動きをする機会は少なかった。
ところが本作ではコナン自身が肉弾戦をし、
機銃掃射を走って逃げ、最後は若干無茶な方法で組織のヘリを撃退する。
これによってコナンの身体能力は底上げされ、
以降の作品でさらに力を入れられることになる。

 

★全ての始まり『沈黙の15分


オープニングの地下鉄爆破と終盤のダム決壊。
2つのスペクタクルに挟まれたこの作品が、静野監督の第一作だ。
揺れるカメラに、長いアクションシーン。
静野期で多用された演出が、すでにこの時点で全開だ。

 

特筆すべきは終盤のダム決壊。
爆弾が全て爆発し大量の水が流れ出す。
コナンは水に襲われる村を救うべく、スノボーを駆って雪崩を起こす……というのが流れ。
荒唐無稽で現実的には思えない筋書きを、
この映画は「コナンならできる!」というテンションで大真面目に描き切る。
どう真面目にやるかと言えば、

「雪崩を起こす」という情報をギリギリまで伏せておき、
コナンが濁流とギリギリの競争をしている様子を丹念に見せる。
「何だかわからんがコナンが凄いことをやりそう」という緊張感で間を持たせるのだ。

 

原作やTVシリーズがある以上、ハッピーエンドになるのは観客も分かっている。
だからこそ、スペクタクルの過程こそを魅力的に(この場合は緊張感たっぷりに)描く。
静野期の大きな特徴だと言えるだろう。
その後、雪に埋まったコナンを捜索する場面も、その精神が発揮されており、
探偵団が大泣きしたり、蘭が叫んだり、妙にドラマチックなのである。

 

★情熱的な意欲作『11人目のストライカー


いきものがかりの起用が話題となった本作では、映像の質感が大幅に変更された。
キャラクターの色が明るくなっただけでなく、
内側からぼんやりと発光するような処理が加えられている。

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↑(左:『沈黙』での質感イメージ、右:『11人目』での質感イメージ)

 

変化は光の使い方にも表れている。
環境光の設定によって、光源に近い場所が明るく、
遠くなるほど暗くなるという効果が施された。
これによって、人物の色合いもグラデーションになっている。


さらに、ピントの調節も細かくされており、
毛利探偵事務所の室内でも、
カメラの手前のものがぼけるなど、
レンズを意識した演出がなされた。

 

また、本作はドラマに力を入れた作品でもある。
人命のかかった大役の前に震える、生意気な若手Jリーガー。
思い出のスタジアムを、記念時刻に爆破する犯人。
叫ぶようなコナンの犯人説得。
コナンがJリーガーと秘密の練習をする場面では挿入歌が流れたりと、
サッカーに対する様々なキャラの思いを、力強く伝える作品である。

 

★ハイターゲットな『絶海の探偵』


櫻井武晴氏を脚本に迎えた初めての作品。
イージス艦という舞台設定、スパイの存在、ショッキングな遺体、と異色づくしだ。

 

この作品における挑戦は、某国のスパイ「X」の存在の難解さである。
Xは悪事を働いてはいるが、
それは殺人や強盗のような明快なものではなく、情報の窃盗である。
つまり彼がどうして悪人なのかが分かりづらい。


「Xが殺人犯の可能性がある」「Xが子供の父親の振りをしている」という2つの疑惑や表情によって、彼を分かりやすい悪役に見せるが、
それ以外の部分では、観客側が国防や機密情報といった概念を理解している、という前提で話が進む。
『漆黒』でのノックリスト争奪戦を発展させた、大きな挑戦だった。


『沈黙』『11人目』に比べて地味な映像が続く本作で、
興行収入を記録更新したこにとは、大きな意味があったはずだ。
それは櫻井氏のメインライター化と、次作以降のハイターゲット路線に繋がっていく。

 

★全盛期が始まる『異次元の狙撃手』


前年の『絶海』、そして『ルパン三世VS.名探偵コナン THE MOVIE』を経て、
興行収入が40億円台に突入した今作。
コナンの右肩上がりの興行を、決定づけた作品である。

 

『異次元』では『絶海』のハイターゲット路線を継承しており、
アメリカ軍の海兵隊が題材となっている。
加害者も被害者も戦争経験者、という経歴はシリーズ中でも異色だ。


特に目立つのは、英語の台詞が多い事だ。
外国人同士の台詞の応酬は、英語でされるため、字幕がないと分からない。
内容も複雑であり、観賞者の年齢を、洋画を字幕で観られる年頃(恐らく中学生程度に)見積っている。

 

さて、今作は『漆黒』と共通点が多い。
原作(とTVシリーズ)に登場しているキャラクターの銀幕デビュー、
コナンが現場を足で調査する、展望台での攻防戦、
そして次作の題材がキッド、次々作がアニバーサリーイヤーという位置づけ。
共通している分、違いも分かりやすい。
『漆黒』が終盤に至るまで地道な調査を続けるのに対し、
『異次元』はオープニング、中盤、終盤と何度も犯人との対決が繰り広げられる。
世良が重傷を負うというサプライズ要素もある。
これまで積み上げてきた、緊張状態を優先する作風が大いに発揮されたと観るべきだろう。

 

また、本作ではまた映像の質感が変更された。
内側から発光するような処理は抑えられ、輪郭線と影がはっきりしている。
他にも、『沈黙』から部分的に使用され、『絶海』で本格導入された、
顔の輪郭線(やパーツの線)を太くする作画が今回は頻出する。
カメラがキャラに近づくにつれて、輪郭線の強弱が大きくなる演出だ。
ペンで力強く描いたような線によって、決め顔が明確になり、表情が印象に残る。
『から紅』まで続く、静野期の映像の最終形だ。


★一気呵成の対決『業火の向日葵』

 

この映画がずば抜けているのは、「最初から最後までキッドが格好いい」ところである。
従来怪盗キッドの登場作品は、
途中から(あるいは序盤から)キッドの存在感が薄くなる傾向にあった。
その中で本作は、終盤まで深く絡み、敵としてコナンの前に立ち塞がる。
この緊張感によって、キッドの格好よさが際立つのだ。
本作特有の、風に吹かれながら意味ありげに笑うキッド、という絵面はそれだけで痺れる。

 

また、本作はゲストとレギュラーキャラのドラマが濃い。
おばあさんと灰原の恋を示唆するような会話、
苛烈な正義感を持つチャーリー、
寺井の願いを叶えようとしたキッド……等々。
最後の場面が「チャーリーがキッドを見逃す」ところで終わるように、
(あるいは灰原が冗談めいた口調で恋心を認めるように)
事件がキャラの心にやや変化をもたらす、少し切ない風味の作品だ。
『絶海』でのコナンと勇気、コナンと藤井一佐、と
同じようなアプローチである。
この路線は、次作『純黒』で大成することとなる。

 

本作は屋外シーンの多かった『異次元』に対して室内シーンが多い。
そのためか、部屋によって画面の色合いも変わる。
光源や環境を意識したアプローチは健在だ。


★ハッピーエンドになれない『純黒の悪夢


『純黒』は非常にシンプルな映画だ。
敵は黒の組織、味方はそれ以外、と勢力がきっちり分かれている。
そして、キーとなるキャラは、記憶を失った敵。
彼女の記憶が戻るか否かが、サスペンスの根源だ。

 

さらにもう1つ、大きなサスペンス要素がある。キュラソーの顛末だ。
『劇場版コナン』には原作とTVシリーズがある以上、
キュラソーは死ぬ、あるいは作品世界から退場するのは、公開前から明らかだ。
それによって、探偵団とキュラソーが親しくなるほどに、
彼女がどんな結末を迎えるのが気になる、という緊張感が生まれる。
そして、この2つのサスペンスがクライマックスで結ばれる。

 

今作のラストを飾る観覧車アクションには、大きなポイントがある。
それは「コナンでもどうにもできない」点だ。
花火ボール、サスペンダーに巨大サッカーボールと、
近作で印象的に使われたアイテムを全て使うが、
それでも暴走した観覧車は止まらない。
その窮地を救うのが、キュラソーの決死の突撃である。

 

『11人目』『絶海』『異次元』など、
これまでもコナンが他のキャラと協力して事件や事故を解決する描写はあった。
しかし、『純黒』のそれは毛色が違う。
赤井の「よくやったな、坊や」という台詞に、コナンは浮かない顔をする。
なぜなら彼は、キュラソーが命を落としたと察しているからだ。

 

『沈黙』の欄で、原作があるからハッピーエンドになるしかない、と書いたが、
この作品はそれを逆方向に突き詰めている。
原作があるからハッピーエンドにはなれないのだ。
ED前後にギャグもはさまず、今作はしんみり終わる。
派手なスペクタクルを大真面目にやってきたからこそ、この結末も深刻なものになる。
静野期の到達点だ。


★恋愛映画だった『から紅の恋歌


キャラクターのドラマを中心にしていた前作から一転して、
連続殺人(と未遂)事件の謎を解く手堅い作品だ。
コナンを評して「殺人ラブコメ」と原作者は言うが、
今作ではそれが如実に表れている。
平次と和葉、そして紅葉の恋模様。それと並行して起こる事件。
まさにコナンらしい作品だ。


その中でも特筆すべきは、恋愛要素とミステリー要素が解離していないことだ。
従来、劇場版における恋愛要素は「コナンが蘭のピンチを救う」
「蘭が事件の中で新一との思い出を振り返る」など、
事件とは間接的な位置づけにされることが多かった。

 

本作も、終盤で謎解きが始まるまではそう見えるが、
事件の真相がわかるとガラリと衣替えをする。
一連の事件は全て、夫が亡き妻のためにしたことで、
その根源となった別の事件さえも、ある男の初恋が発端だった。
愛情の光と闇が描かれた、まさに恋愛映画だったのである。

 

この仕掛けが成立するには、それまでのラブコメ要素が
きちんと「いつものラブコメ」に見えていなければならない。
本作の恐るべきところは、そこである。
脚本は初登板の大倉崇裕氏が手掛けているが、レギュラーキャラの描写に全く違和感がない。
名探偵コナン』らしいキャラの掛け合いによって、おなじみのラブコメを見ている気持ちになるのだ。

 

演出も、今までになく軽快でコメディらしい。
コナンが慌てて移動しながら「眠りの小五郎」をやる、
蘭が効果音を立てながら素早く退散する、
阿笠博士FaceTimeで電話をかける、など、
細かいところで雰囲気を軽くしている。
個人的には明るい映画だという印象を受けるのだが、
それはこういう描写が多く仕込まれているからだろう。

 

★静野監督期を振り返って


振り返ると、静野監督期は作品を盛り上げること、
そして新しい風を吹かせることに意欲的だった。
ミステリー、スペクタクル、コメディ、新一と蘭の関係……
どの要素も『劇場版コナン』を『劇場版コナン』たらしめているものだが、
その配分を実験し続けた7年間だったのだと私は思う。

 

今また『ゼロの執行人』で新たな扉が開かれたが、それは静野期なくしては成立しなかったはずだ。
アクションやスペクタクルを軸にして、異色のコナンを作り続けた静野期は、
これからもシリーズの礎になっていくことだろう。
挑戦は当たり前。
そんな静野期が、私は好きなのだ。

『ハリー・ポッター』シリーズとのお付き合い

この前、久しぶりに『ハリー・ポッターと賢者の石』を観た。『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』を観て、「ハリー・ポッター」シリーズへの熱が再び高まったのである。

私は映画の「ハリー・ポッター」シリーズにはリアルタイムで付き合ってきた。『賢者の石』を映画館で観た後、原作も読むようになり、『秘密の部屋』以降は原作を読んでから映画を観に行くようになっていた。シリーズに触れた最初が映画版だったことから、私の頭の中の「ハリー・ポッター」の世界は映画版を基本にしてできている。ホグワーツの見た目や、動く階段、肖像画、杖、ダイアゴン横丁など、原作小説を読んでいて想像するのは映画版で観た風景だ。勿論映画版より先に原作を読むようになった結果、まだ映画で触れられていない風景は自分の脳内で作るしかなく、その場合は脳内の風景と映画版の風景の二つが出来ている。

 映像化されたものから触れてしまう場合、どうしてもイメージがそちらに引き摺られてしまう。自分の想像による楽しみはどこかへ行ってしまうのだ。だが、私は「ハリー・ポッター」シリーズに関してはそれで良かったと思っている。なぜなら、映画の方が私の頭より想像力が豊かだからだ。私の頭からはどうやってもホグワーツのビジュアルは出てこなかっただろうし、ウィーズリー家の食卓を細かく想像することも難しかっただろう。

特に私の場合、小説を読んでいて景色を想像する時は、自分の知っている場所と置き換えることが多い。「ハリー・ポッター」シリーズを愛読していたのは小学校時代なので、自分の通っていた小学校の廊下や教室と置き換えていた。『不死鳥の騎士団』の神秘部の場面なんて、私の脳内では小学校の図書室である。自分の頭ではどうしてもスケールダウンしてしまうところを、映画は細やかなディテールや予想外のデザインで見せてくれる。映画版はカットしている場面が増え、勿体なく思う事も多かったが、新しいビジュアルを多く見せてくれたのは間違いない。

『賢者の石』はハリーが初めて魔法界に来たワクワクした気持ちを、ディテールで見せる作品だ。煉瓦が崩れてダイアゴン横丁が眼前に広がる衝撃や、箒に乗って飛ぶ躍動感、動く写真に肖像画、マグルの世界とは違う習慣など、初体験のつるべ打ちだ。その「初めて」をハリーと一緒にスクリーンで体験できたのは幸運な体験だった。そしてそれは『ファンタスティックビースト』にも受け継がれている。自分の想像を大きく超える体験を、これから4作も味わえるなんて、幸せなことだ。今の小学生や中学生がワクワクできるようなシリーズになったらいいな、とも思っている。そんな期待をしながら『秘密の部屋』を観て、次作を待つことにする。

【ネタバレ】映画『この世界の片隅に』感想―戦争映画です。でも、笑っていいんです

映画『この世界の片隅に』を観に行った。

浦野すずという絵を描くことと空想が大好きな女の子が広島に育ち、呉の北條家に嫁いで生きていく。その人生と重なるように太平洋戦争が本格化し、その生活にじわじわと影を落としていく物語だ。

 

この映画では笑えるところがたくさんある。すずが余りにもぼんやりとしているため、小さな失敗を繰り返す。それは決してすずを笑いものにするような冷たいものではない。周囲も愛らしさを感じていたし、何よりすずがそれにくよくよしない。すずを気に入らずにちょっかいをかけてくる義理の姉ですら懐柔する大物感だ。

その笑いは戦争の生活苦ですら笑えるシーンに変える。少ない配給と野草を駆使して楠木公の料理を再現するすずの姿は生き生きとしており、その自慢げな様子からの「まずい」というオチは、作中でもかなり手の込んだギャグに仕上がっている。

場内も笑いに包まれており、前半は和やかな空気の中進んでいく。

 

ところが、後半に入ってそれが一変する。

空襲を受けた後、町を歩いていたすずと姪・晴美は不発弾の爆発に巻き込まれてしまう。その時、すずは右腕を、晴美は命を失くしてしまうのだ。

空襲警報に早朝から起こされ、防空壕の中でご飯を食べ、「警報もう飽きた」と晴美が言うほどに空襲が日常化していた矢先の出来事だ。心のどこかで「この映画は空襲で身近な人が死ぬタイプの作品ではないんじゃないか」と思い始めていたため、ショッキングだった。

そのショックはすずにも降りかかる。義理の姉からは「人殺し」と罵られ、片腕を失くしたから家事も十分にできず、家のお荷物となっていく。すずの顔からも笑顔が消えた。

多くの人から「生きていてよかった」と言われたことを思い返し、「何が良かったんだろう」と独白する場面はその極致だ。生きがいだった絵を描く事ももうできない。すずにとって、右手はただの道具ではない。絵を描き、料理を作り、裁縫をし、家族と手を繋いだ、人生の記憶がつまった宝物だったのだ。

 

笑顔を失ったすずの思いが爆発する、終戦直後のシーンがある。

「最後の一人まで戦うんじゃなかったのか! この左手も、両足だってまだあるのに!」とラジオに向かって叫ぶすず。そして、「ずっとぼおっとした自分でいたかった」と涙をこぼす。ここで前半の描写の意味が大きく変わる。生活苦の中の笑いは、何もすずの人格だけに由来したものではなかったのだ。あれは苦境を乗り越えようとする、すずや人々の戦いだったのだ。戦争が忍び寄ってきても「変わらない暖かな家族」だったのではない。戦争が日常に表れたからこそ、「変わらない暖かな家族」を演じなければならなかったのだ。

 

勝つために苦難に耐えるという目標が無くなった後も、すず達は生きていく。

「晴美ちゃんは笑うことが好きだったから、笑うことにしたんです」とすずが語った時、私は「この映画で笑ったことは、正しかったんだな」と思った。演じていた部分もあるだろうけれど、その笑顔は嘘だったわけではない。宝物の腕を失くしても、大切な家族が亡くなってしまっても、生きていかなければならない。人生先は長いのだから、笑ってもいいのだと。そんな風に、背中をさすってくれるような映画だった。

『君の名は。』と『サマーウォーズ』

これは僕達のアニメ映画だ

 

2010年3月に『サマーウォーズ』を観たとき、私は今までにない興奮を覚えた。「こんな面白いアニメ映画があったなんて!!」と驚愕したのだ。当時の私は中学3年生。劇場で公開していた時は存在を知らず、親がレンタルしてきたDVDで初めて『サマーウォーズ』に触れた。

自分の地元が題材になっている親近感、OZの世界の想像力、家族ものでありながら湿っぽくない空気感、三段構えのクライマックス。その全てが合わさって、単純に「面白い!」と思わせた。当時『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は視聴済みだったのだが、それが気にならないぐらい面白く感じた。初めて同じ映画を2日連続で観たほどだ。

私が『サマーウォーズ』を強烈に面白く感じたのは、内容が自分好みだったのもあるが、「ついに自分が探していたアニメ映画に出会えた」という感触があったからでもある。当時の私にとってアニメ映画とは、ジブリ作品のことだった。小さいころからビデオやテレビでジブリに育てられた私は、当時のジブリ作品に満足できなかった。『ハウルの動く城』『ゲド戦記』『崖の上のポニョ』と、宮崎駿監督や吾朗監督の作家性が前面に出た作品ばかりで、「普通に面白い」と言える作品が無かったのだ。そんな時に『サマーウォーズ』に出会った。

エンターテイメントに徹した作品の気持ちよさに、「これは僕達のためのアニメ映画だ!」と直感した。今から考えれば『サマーウォーズ』を楽しめない同年代の人も大勢いただろうが、その時に「僕達」と思ってしまうくらい、自分以外の若者も楽しめると勝手に思い込んでしまうくらい、私を引き寄せた作品だった。

 

そして2016年8月。再びその興奮を君の名は。が連れてきた。

男女の入れ替わりから生じる軽妙な作劇。時間と距離を飛び越えた真相。想像を遥かに超える規模の災厄。引き裂かれる二人の過剰なまでにセンチメンタルなメロドラマ。世界を自分で救ってやろうとする傲慢さ。それが許されるテンションの高さ。サービスにサービスを重ねる豪華さはまさに『サマーウォーズ』だ。そして何よりも、作り手のサービス精神が自分たちに向いていることが、物凄くありがたかった。

思えば、最近のアニメ映画は必ずしも「僕達」に向けて作られていたわけではなかった。『風立ちぬ』も『かぐや姫の物語』も特定の年代を意識して作られてはいなかった。『思い出のマーニー』は思春期前半の子ども向けだったし、『バケモノの子』の前半は明確に小さな子供に向けて作られていた。

面白いアニメ映画は数あれど、そこに「僕達」はいなかった。「家族向け」が見たいわけじゃない、「感動したい」わけでもない、「ひたすらに面白い」アニメ映画が見たい。そんな欲求に応える快作が、『君の名は。』だ。「僕達」の夢みがちな恥ずかしさも、運命の相手を懸想するバカなところも、全部詰め込んだうえでエンターテイメントにしてくれる。そこに私は『サマーウォーズ』との近似を感じ、「これは僕達のアニメ映画だ」とまた思ってしまうのだ。

『徒然チルドレン』6巻は、過去最高に面白い!!

【ネタバレあり】

8月17日に『徒然チルドレン』6巻が発売された。

3年半ほど前から追っている身からすると、感慨深い内容になっていた。

そして、一番面白かったと言っていい。

その理由を説明していきたい。

 

『徒然チルドレン』は若林稔弥が2012年にインターネット上で連載を始めたラブコメ4コマ漫画である。それが月刊少年マガジンを経て、今は週刊少年マガジンで連載している。

この漫画は「両想いの二人が、勘違いとすれ違いを繰り返す群像劇」だ(例外はある)。

1つのエピソードが4コマ×約11本で構成されており、基本的には1話完結だ。色んな組合せの「二人」がいるため、様々なカップリングを楽しむ事ができるのが特徴だ。

劇中では早々にくっつくカップルとそうでないカップルがおり、前者は付き合ってからのイチャイチャや喧嘩を、後者は友達以上恋人未満の甘酸っぱい空気を醸し出している。人によっては読みながら吐血してしまうほどの青春濃度の濃さだ。

6巻の帯には「付き合う前のドキドキと付き合ってからのドキドキを。」とあるが、まさにその通りの作品である。

 

6巻が他の巻と明確に異なるのは、二つの中編が挿入されていることだ。

従来、『徒然チルドレン』ではエピソードを跨ぐ形で繋がっている話はあっても、それらは一度別の「二人」のエピソードを挟んでからコミックスに掲載されており、あくまでも別個のエピソードという形をとっていた。

しかし、今回は時系列が完全につながる短編の連続掲載が二回行われている。

一つは「渚」というタイトルの4つの短編(+前日譚)で一つになるエピソード。

もう一つが「君をつれて」という3つの短編(+前日譚)が繋がっているエピソード。

ナンバリングで区切られているが、中身も掲載順も直接つながっているため、実質中編の扱いだ。

この二つのエピソードが作品全体を大きく盛り上げる役割を果たしている。

 

 

まずは「渚」だ。

このエピソードの中心となる「二人」は、高野千鶴菅原卓郎だ。6話と言う早期登場にも関わらず、全然くっつかない。そのすれ違いっぷりは作中で最もドラマチックだ。

まず菅原は高野に好意を抱いているが、高野はそもそも恋愛自体に興味が無い。初期は無表情に近く、菅原が告白しても激励だと勘違いする鈍感キャラだった。それが菅原と交流していくうちにその人柄に惹かれ、恋心が芽生えるようになる(表情も豊かになっていく)。しかし本人はそれを恋だと自覚できず、悶々としている。菅原の方も一度高野を諦めようとするも諦めきれず、これまた悶々としている。

まるでカタツムリのような歩みの二人が、ついに海に遊びに行く! というのが「渚」のストーリー。

「渚」は高野と菅原だけでなく、クラスが同じキャラ達も登場し、とても賑やかなエピソードだ。周りが何とかくっつけようと仕掛けるも、上手く行かない。菅原から高野へ告白イベントがあるものの、「聞こえなかった」というお約束でまた流れてしまう。しかし、あの無表情だった高野が汗を飛ばしたり、赤面したり、ときめいたりし続ける25ページは圧巻だ! 

 

もう一つの中編「君をつれて」。

こちらは作中で唯一「ブサイク」だと明言されている山根隆夫と、その山根に恋する美少女・栗原ちよが中心となる。この二人のエピソードの際、忘れてはならないのが、山根の親友・本山友道だ(彼もまたブサイク)。山根と栗原はお互いに好き合っているものの、あと一歩の勇気が出ず告白に至っていない。特に山根は自身の顔面にコンプレックスを持っており、「まさか栗原さんが自分のこと好きなわけないよ」と卑屈まっしぐら。本山はそんな二人をじれったく思っており、いつも背中を押そうと応援している。そしてその応援が空回りに終わるのが毎回のお約束だ。

「君をつれて」では、栗原から「夏休み、遊びに行きませんか」と誘われた山根がコミックマーケットに連れて行く。本山も参加し、あの手この手で二人きりにしてあげようと奔走する。いつも通り栗原からの好意に「気づかないふり」をしようとした山根だが、逆にそれを栗原に気づかれ、返事をしなければならない状況に追い込まれる。自分のいいところを見せて、上手く場を作ってから告白しようとする山根だが、その意に反して思い切りかっこ悪いところを見せてしまう。自分の情けなさに凹む山根に、栗原がある言葉をかける。その言葉に心を打たれ、山根はついに告白する。

ここでは型破りの見開き6ページが使用されるが、全然かっこよくない。泣きながらの告白が見開きで映し出される。しかし、そこに胸を打たれる。

そもそも最初のエピソードのオチは「栗原からの告白を、場のプレッシャーに耐えられず遮ってしまうヘタレ山根」というものだった。その山根の最高にかっこいい見せ場だったと言えるだろう。

 

 

この二つの中編が6巻では大きな紙幅を占めているが、他のエピソードも隙がない。

第2話から引っ張り続けた古屋・皆川組がついに結ばれる「ピュア」「実感」、

前巻で大きな転換点を迎えた千葉・桐原組と冴島・相馬組の「お手伝い」「トラウマ」、

コメディ色の強い「プリン」「LとR」「来ちゃった」、

イチャイチャ度が天井知らずの「どうにも止まらない」「初恋クレイジー」、

ちょっと変化を迎える「誓い」「アクアリウム」。

『徒然チルドレン』のあらゆる要素を過不足なく配置し、なおかつ中盤に「渚」、一番最後に「君をつれて」を掲載することで、読んでいる側のテンションが巻末で最高潮になるようにしている。オムニバスの短編集を読んでいるのに、単行本1冊分の長編を読んだ時に近い感覚を覚えた。

 

『徒然チルドレン』の6巻は、ストーリー漫画のような緩急があり、エピソードを多く繋げた事で深みもある。その構成力の高さは、間違いなく過去最高だと言えるだろう。

7巻以降も非常に楽しみだ。

 

 

ところで、私の一番好きな「二人」は、皆川さんと古屋くんである。

そういう意味でも6巻は最高だったのだ。

 

 

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【ネタバレ】映画『君の名は。』の感想――パッチワークが導く、新しい光

最初っからネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれて初めて、「胸を揉むシーン」に感動した。

女子高生が自分の胸を揉みしだいている光景にこれほどまでに揺さぶられ、大笑いするなんて。

 

◆『君の名は。』とパッチワーク

新海誠監督作品『君の名は。』はすさまじいパッチワークの作品だ。

物語の構成は思い切り『雲のむこう、約束の場所』で、その要となるのは『星を追う子ども』のアガルタだ。そのアガルタ要素を引き出すのは『言の葉の庭』で、時間と空間を飛び越えているところも何だか『ほしのこえ』っぽい。そして物語の最終盤は『秒速5センチメートル』のリメイクである。

新海作品以外でも『時をかける少女』『転校生』『いま、会いにゆきます』『サマーウォーズ』などを想起させる要素がゴロゴロしている。変則的な入れ替わり劇があることを除けば、「どこかで観た作品」の寄せ集めのようだ。

しかし、この作品はずば抜けて新鮮に思える

なぜなら、「変則入れ替わり劇」が圧倒的に面白いからだ。

 

◆これは新海作品なのか!?

物語の序盤、初めて三葉と入れ替わった瀧がとった行動は、「胸を揉むこと」だった。

これまでの新海作品からは想像しがたい、性的なネタである。劇中で妹の四葉から「ほんと自分の胸好きだよね」と言われるぐらい、瀧は三葉の胸を何度も揉んでいる。この行動から始まる入れ替わり劇は、想像以上に軽快だ。

お互いが入れ替わったことで起きるトラブルが、RADWIMPSの歌にのせてダイジェスト風に、決して重くならないように展開される。文句を相手の身体にマジックで書きこむところなんて、とてもバカバカしい。こんなに頭の悪そうなキャラ(いい意味で)が新海作品でメインを務めるなんて思ってもいなかった。

この楽しい入れ替わり劇は、後半物語の骨格が明らかになった後、鳴りを潜める。想像以上に深刻で、登場人物も「あの日々は本当だったのか」と疑うようになったところで、再び入れ替わりが起きる。三葉の身体で目覚めた瀧は、その体を愛おしそうに抱きしめる。ここで私も「ああ、よかったなあ……」としんみりするが、この映画の素晴らしい所はその直後だ。

妹が三葉を起こしに来ると、三葉(中身は瀧)は自分の胸を揉みながら大泣きしているのである。ものすごく笑えるのに、ものすごく泣ける。バカなネタでしかなかった「胸を揉む」という行為の意味が、一気に変わる。恐らく2度目の鑑賞時には、映画の冒頭の「初揉み」でグッと来てしまうはずだ。

 

◆すべてを覆す三文字

もう一つ、名場面がある。

物語のクライマックスで、三葉は町長である父親の助力を仰ごうと走る。そして派手に転ぶ。転んだあと、手を開く。自分と入れ替わって町を救おうとした瀧の名前を確かめようと、手を開く。しかし、そこに書かれているのは「すきだ」という三文字。

「お互いの名前を忘れないように、書いておこうぜ(笑)」というようなノリで三葉の掌に字を書いていた瀧。まるで思春期の男の子が「遊びに行かね?」と自然な話の流れを装って女の子を頑張ってデートに誘うような、観ているこっちが照れてしまうような真剣さ。

「すきだ」の三文字が言いたくて、時間も空間も飛び越えて会いに来た少年。そのバカ正直さと、ここに来て照れてしまう不器用さと、そのために耐えてきた試練を想起させる。それを「すきだ」の三文字に集約する脚本の秀逸さ。その全てに心を撃ち抜かれてしまった。

正直、クライマックスは町の人がそもそも何人いるのかとか、彗星が落ちてくるまでのタイムリミットが曖昧だとか、結局三葉はどうやって父親を説得したのかをぼかしているとか、RADWIMPSがしつこいとか粗だらけだと思うが、それらは「すきだ」の三文字の前には小さなものだと思う。

私は「すきだ」を見た瞬間、すべての粗がどうでもよくなってしまった。

 

◆パッチワークとファンサービス

「胸を揉む」と「好きだ」。この2つの新鮮さが、パッチワークをただのパッチワークにしない。新海監督はパッチワークの達人である。『星を追う子ども』に顕著だが、好きなアニメの要素を入れることに迷いが無い。とらドラ!』のファンだからとはいえ、自作にも田中将賀をキャラクターデザインに起用するなんて、直球にもほどがある。

今回はOPをつけたり、歌を何度もかけたりと、TVアニメーションっぽい要素が散見される(個人的には、『とある科学の超電磁砲S』の最終回を思い出した)。新海監督の「アニメが好きだ!」という思いが伝わってくるようだ。

そして、それが「自分の売り」だと分かっている。パンフレットにも「今回は、お客さんに対するサービスを徹底して意識した作品でもあるんです」とある。『星を追う子ども』の時はまだ不器用で、物語の本質までもがパッチワークに引きずられていた。しかし、今回はあくまでも『君の名は。』に奉仕する存在として後ろに下がっている。だからこそ、旧来のファンも「このセルフパロディはファンサービスなんだな」と安心して見ることができる。

 

 

君の名は。』は気持ちいい作品だ

様々な素材を集めてきて、かっちり固めているところもあれば、ノリと勢いで突き抜けているところもある。特に三葉の家族や能力にまつわる部分は、十分に描けてはいない(瀧に関しては恐らく描く気が無い)。あと20分あればかなり隙のないドラマに仕上がっただろう。しかし、観終わった後の爽快感は、この107分でしか得る事ができないはずだ。長々と書いてしまったが、この作品を表現するのにはたった一言で十分だ。

 すきだ。

はじめまして

はじめまして。

ひるねゆったりです。

アニメが好きで、ちまちまとアニメを見ています。

今までTwitterでアニメの感想を細々とつぶやいてきましたが、たまには長文で書くのも楽しそうだなあと思い、ブログをやってみることにしました。

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