ひるねゆったりの寝室

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『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』を観た

半分本編の話、半分雑談です。

 

特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』を観てきた。

私は中学時代に吹奏楽部に所属していたので、『響け!ユーフォニアム』を”あるあるネタ”の宝庫として観ているところがある。今回は「アンサンブルコンテスト」という題材そのものが、なんとまあマイナーなネタを拾ってきたな……と思うものであった。

これは二度も夏のコンクールを題材にしてシリーズを発展させてきたがゆえの強みだろう。劇中でフォーカスした久美子たちのチームがあっさり敗北するというのも、いつものノリとは異なるものがあった。

 

作中、大きく「お!」と思ったのは二つの場面。

ひとつはマリンバを運んでいるシーンの久美子とつばめの描写。マリンバがでかい・重いというのは私もよく知っているが、それを作劇に生かした演出に技巧を感じる。

今回、演出であっと言わせる濃厚なテイストは鳴りを潜めていたが、この場面にはその片鱗があった。番外編といえど、やはり『響け!ユーフォニアム』シリーズである。

 

もうひとつはそれぞれのチームの集合写真が流れていく場面。

ああやってふざけたり、あるいは格好をつけて写真にうつるのは、これも"吹奏楽部あるある"だ。定期演奏会のプログラムに載っている、各パート紹介写真は基本ああいう感じなのである。

そういう取材力の高さも感じたし、久美子や麗奈といった”主役”ではない人間もいてこそ吹奏楽部、と密かに訴えているようにも見え、そこにも好感を持った。

 

ここからは余談である。

本作の原作者、武田綾乃は1992年生まれで、1995年生まれの私と同年代。彼女の描く北宇治高校吹奏楽部は、私の過ごした吹奏楽部と重なるところがある。
私のいた吹奏楽部も、強豪とまでは言えないがなかなか練習がハードで、中学時代の大半を部活に捧げたと言っても過言ではない。そして、やはり名物顧問が指導しており、そのおかげで大会を勝ち進むことができた。

 

響け!ユーフォニアム』における、最近の価値観と衝突する部分として、いわゆる「ブラック部活」の側面が挙げられる。

自主性の名のもとに生徒を長時間拘束し、顧問の教師も身を粉にして働き、私生活にも勉強にも支障が出る。
作中でその危険性を示唆しつつも、最終的には「そこにしかない輝き」を肯定するかたちで、本シリーズは成り立ってきた。

正直、そういう結論に至るのは、とてもよくわかる。
私も所属当時は文句たらたらであったが、そこまで打ち込まないと到達できないものは確かに存在する。北宇治とは真逆のふわふわな吹奏楽部が全国大会で金賞を取る……というのは、リアリティがないし、私も好きになれなかっただろう。

「ブラック部活」の側面もまた”あるあるネタ”の一種であり、それが生み出す実在感に惹かれてきたと言える。

 

だが、『響け!ユーフォニアム』をリアルに感じるのは、私の世代で終わりだろうとも思う。

例えば私の地元では、県全体で中学校の朝部活が制限されるようになってもう10年が経つ。他県でも土日どちらかは必ず休むよう定められたり、1日あたりの活動時間を制限したりする動きがある。平成30年に文化庁が出した「文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」が大きな影響を与え、この流れが止まることはないだろう。

 

響け!ユーフォニアム』は間違いなく、古い時代のエンタメになっていくと思う。
そして、私はそれで良いと思う。
2000年代の吹奏楽部の空気を伝える、タイムカプセルであること。
期せずして、この作品は長寿化したことで、その使命を負ったように思うのだ。
2025年春にTVシリーズ第3期が放送されるという。
そのタイムカプセルが開かれる時に、自分が何を感じるのか、今から楽しみだ。

 

『君たちはどう生きるか』を観た

君たちはどう生きるか』を観た。

 

上映開始早々に、自分の中には『化物語』に書かれたある会話が思い浮かんでいた。

「そうよね。阿良々木くん、ソロコンっぽいもの」

 ソロコン?

 聞き慣れない言葉だった。

「ソロレート婚の略よ。姉妹逆縁婚と言って、奥さんが死んだあと、奥さんの姉だったり妹だったりと結婚することを言うの」

まさか宮﨑駿作品を観ている時に、西尾維新作品の知識が役に立つとは……。

逆縁婚は戦後日本でもままあった、というのもどこかで読んだことがあり、それも補助線として役に立った。

一方で、日本史の知識が求められる局面は少なく、屋敷の中で話が完結している小規模な物語であった。映画後半の舞台となるファンタジー世界も同様で、さまざまな場所が描かれているものの、サッと狭い空間に移動していくので、視覚的にも小規模な物語の感があった。

この小さな箱庭のような作風は、宮﨑作品というよりも、彼以外の監督が手がけたジブリ作品の印象に近い。『借りぐらしのアリエッティ』が一番近いかもしれない。だから、宮﨑作品の総ざらいのようでいて、「ジブリ的なもの」をまとめ上げた作品だと思った。

 

つまり薄味な作品であったのだが、母子関係を中心に据えた部分はそれとは違う熱を感じる。逆縁婚そのものの「タブーな気配」もそうであるし、ひたすらに「継母のナツコは父親の好きな人(であって、自分にとってはそうではない)」と主人公の眞人が強調し続ける頑なさも、心をザワつかせた。

そしてもう一人、ヒミという少女が大きな役割を果たす。彼女が最後におこなった選択は、そのカラッとした表情含めてグサリと刺さり目が潤んだ。とってつけた性急さもある展開なので納得感は薄い。しかし、この作品から自分が何か受け取ったとするならば、間違いなくここだと思うぐらい良い瞬間だった。

 

このように今はだいぶ温度低めに書いているが、観終わった時の「よかった」という感覚は言葉では言い表せないものがあった。熱量高く人に勧めることはせずとも、自分の中でその時の気持ちをとっておきたくなるような、好ましい映画なのだと思う。